丸井太郎

名称 丸井太郎
よみ まるい・たろう
区分 俳優
別名 石上正一
本名 石上正治
生没年月日 1934/12/?~1967/9/18
出身地 東京市
出身校 都立第四商業高校 1953年卒業
家族・親族  

経歴

1953?
1957
  • 第11期ニューフェイスとして大映入社。
1958
  • 10月、大映は柱となる映画に添える喜劇をシリーズ化する路線を打ち出し、『恋と花火と消化弾』に新人の石上正一と伊藤直保を抜擢。この時に二人は、丸井太郎、三角八郎と芸名を変えた。三角とは後にパンの会を結成。
1963
  • 6月~9月放映のTBSドラマ『図々しい奴』にて主演の戸田切人(とだ・きりひと)役。大人気番組となり、無名から一躍有名に。
  • 11月1日、ラジオ関東『図々しく行こう』開始。戸田切人で馴染みの岡山弁で現代処世術を述べる番組だった。
  • そんな人気絶頂の11月、結婚。
1964
  • 『図々しい奴』に始まるTBS・大映テレビ共同制作の大型喜劇第四弾『あひる飛びなさい』に主演が想定されたが、丸井は映画の人間だとする大映の圧力によりご破算となる。丸井の代わりには里井茂が主演を務めた。
1965
  • 4月2~26日、明治座にて春の喜劇祭・夜の部『図々しい奴』公演で初舞台を踏む。この祭の全ての脚本・演出は花登筐
1966
  • 5月1日13時半・17時半、大手町日経ホールにてテレビで活躍する大映若手俳優の集まりであるパンの会の第一回公演に参加。『俺たちは天使じゃない』昼夜二回公演。丸井の他には、TBS『そろりと参ろう』に出演していた中村隆、三角八郎ら。
1967
  • 5月1日18時、2日13時・18時、新宿厚生年金会館地下小ホールにて三角八郎、福原真理子らとパンの会・第二回公演。マルセル・パニョル作『マリウス』。
  • 9月6日夕、東京・世田谷のマンション自室でガスの元栓を開けて自死しているのを管理人が発見。「妻にもう一度会いたかった」との走り書きが有った。発見された時、枕元には遺書の便箋、妻との写真、一錠だけ残された五十錠入り睡眠薬の瓶が置いてあった。自死の動機は不明。

挿話

  • ラジオ番組『図々しく行こう』
    大当たりしたTBSドラマの題名と役柄をそのまま拝借した番組だったが、この時ラジオ関東側は、こちらが始めたナイターオール中継をTBSが図々しく始めたのでこちらも丸井太郎を図々しく頂いて「図々しく行こう」という事ですと述べた。*1
  • 自死の動機*1
    直接の動機は不明とされる。夫婦仲は良かったが、丸井が撮影のため出張が多く、妻は寂しがって外出がちだったとされ、子供がいないすれ違い生活でノイローゼ気味だったという。自死の時も、『兵隊やくざ なぐりこみ』撮影のため大映京都撮影所に一ヶ月行っており、5日に帰宅した際には妻は彼女の姉の家に行っていて不在だった。妻は報せを聞いて7日0時15分過ぎに戻ったが、その際に驚きのあまり一時失神したと伝えられる。
    『図々しい奴』での戸田切人役がハマり過ぎてしまい、また大映側の圧力もあって、その後はテレビでは活躍できず、映画でも端役止まりだった事も一因として一般的に指摘されてきた。また、『図々しい奴』で当たった時には無名だったため、経済的にも大きく稼いではいなかった。
    そもそもの性格も、外見や役柄からは意外なほど気の小さい人物であったという。

当記事出典

*1 読売新聞 縮刷版
*2 芸能人物事典(日外アソシエーツ)

  • 最終更新:2016-01-03 17:37:37

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